もしあなたが一流の料理人になろうと思い、
ある一流ホテルのレストランの料理長の下で
修行を始めたとしよう。

 

なんとしても一流の腕を身につけようと思った
ならば、その人がどのような努力を積まねば
ならないか想像できないだろうか?

 

一流の落語家の下に弟子入りしたら、どのように
努力していくか分かるだろうか?

 

志村けんを知っているだろうか?

 

彼がドリフターズに弟子入りしたときに、ご飯が
食べられず他のメンバーの残したラーメンや
その汁をすすって飢えをしのいだという話を聞いた。

 

そのような下積みの苦労時代があったから
息の長い芸人になれたのではないかと思う。

 

もしWTSをマスターしようと思うならば、
治療はともかく自分の治療の主流にNMRTを用いる、
どんなときにも用いて調べるという決意無くして
マスターなど出来ないとはっきり言わせてもらう。

 

私が皆さんよりWTSで人を治せているとしたら、
WTSを私の治療の主流に持ってきているということ。

 

毎日のように使い、磨いているという事に
他ならない。

 

つまり「難しい」とか「出来ない」ではなく、
「使えるようにする」「出来るまでやる」「勉強する」
等が圧倒的に私より劣っているからだろう。

 

どのくらい深掘りしているのか?可能性の追求を
続けているか?だけである。

 

この辺を心して頑張って欲しい。

 

あなた方は入会時に「しっかり勉強する」
「しっかり使う」と私に誓約しているのだからね。

 

自分の苦労は誰の為か?

 

それはあなたを頼り、治療を受けに来ている
患者であることを決して忘れてはならない。