テクニックにおいて、それを教える先生の
手の形、足の位置、体勢、動かし方、目先、
頭の位置にはすべて理由、意味、意義がある。

 

その講師の先生は、たいていそこまで
細かく教えることはないけど、基本的、または
特に重要なことは、教えずとも「見せてくれる」。

 

昔の武道では、「見せた」イコール「教えた」
ということになる。

 

それゆえ弟子は、必死になって見ていた。

 

今の時代、分からないことは
「聞く」ということをする。

 

聞かないと分からないということだ。

 

確かにそれも一理ある。

 

しかし、この手技の世界は、自分でその
感覚をつかみ取る以外にないのだから、
この、見て学ぶことをせず、すべて
言葉にして教えるやり方は、学ぶ側の
思考力を奪うものであり、私自身は
あまり良くないこととも思っている。

 

まず自分で考えに考えて聞くならよいが、
なんでも聞いてしまうのは違うでしょと思う。

 

自ら考えつかんだものは、本当に自分の
ものになるし、自在に使いこなし、かつ
応用力を持つものである。