オステオパシーとは
創始者アンドリュー・テイラー・スティル
オステオパシーとは、アメリカの医師アンドリュー・テイラー・スティル博士が当時の流行病によって娘たちを亡くしたことにより西洋医学に疑問を持ち、独自の研究によって創始された徒手医学(1874年公表)のことです。
「オステオパシー」という名称は、ギリシャ語の「骨」を意味する「オステオ」と、「病気」を意味する「パソス」からなる造語。スティル博士は、骨の特質を活かした治療という意味でその名をつけたようですが、訳書ではよく「整骨医」と記されており誤解されることがあるようです。20世紀最大の予言者などと称され、多くの人々を救ったエドガー・ケイシーの訳書に登場する「整骨医」とは、オステオパシーのことです。
日本におけるオステオパシー
オステオパシーの日本における認知度は、1980年頃に「カイロプラクティック」という名が知られていなかったのと同様に、まだまだ低いのが現状です。一方、アメリカでは年間5千万人以上がその恩恵を受けています。近い将来、「オステオパシー」もカイロプラクティックのように日本国内にも広く浸透していくと考えられますが、正しい解釈のもとでオステオパシーを理解されることが切望されます。
スティル博士は、オステオパシーを伝えるために学校を作りました。しかし、その学校では固い信念のもと、自らの作り出したオステオパシーの「矯正技術」を伝えることはありませんでした。それは、オステオパシーの考えに基づいた身体のメカニズムや身体の見方、何が正しく健康であり、どうすると病気や疾患となり、どのようなアプローチや考え方によって、正常化するのかを教えていたと伝えられています。
1に解剖学、2に解剖学、3に解剖学
有名な話に、あるインタビューで「オステオパシーが上達するためには何を勉強したらよいのか」と聞かれたスティル博士が、『1に解剖学、2に解剖学、3に解剖学である』と答えた、というものがあります。ひとつの流派を創始したスティル博士が自分の方法を教えなかったのは、そのやり方だけがオステオパシーであると決めつけてしまいたくなかったためであると伝えられています。そのおかげで、オステオパシー技法には様々な方法が考案されています。
オステオパシー技法の一例
ストラト(HVLA)、ファンクショナルテクニック、筋肉エネルギーテクニック、カウンター・ストレイン、内臓マニュピレーション、クラニアル・テクニック、筋膜リリース、リンパ・テクニック、メカニカル・リンク等
オステオパシーの第一人者・スティル博士の哲学を一言で表すなら、「それはすべてオステオパシー技法であり、また身体に対しての熟知があれば必要な技法を自ら考え出していく」ということ。また、次の4つの基本原則を述べられています。
オステオパシーの基本4大原則
1. 構造は機能に優先する
2. 動脈の法則は絶対である
3. 身体はひとつのユニットである
4. それを見つけ、治したら、放っておきなさい
オステオパシーは、患者さんの身体の状態を理解し、どう健全にもっていくかを考え、その必要性に応じてテクニックを使いこなしていきます。そのため、ある状態にはテクニックAとテクニックBを、また同じ患者さんが次に来院した時に違う状況になっていた場合にはテクニックCも用いる。そうした臨機応変な対応がきちんとできる人こそが、オステオパシーの施術者だと言えるのです。
つまり、身体を健全にするために身体のあらゆる部位について考慮できることが大事であって、「オステオパシーは脊柱の治療ができる」とか「筋肉の治療ができる」と言うだけでは、「オステオパシーの施術ができる」と言うことにはなりません。
スティル博士は、人体を「肉体・精神・魂」がひとつになったものと考えていました。また、ロバート・フルフォード博士は「身体はエネルギーが複雑に流動し、それにより機能し、構成されている。そのエネルギーがブロックされたり、失われたりするから肉体的・感情的・精神的活力を失っていく。この状態が続くと、痛み・不快・病気・精神的な病という結果を生じる」と言っています。
グリーンハウスでは両博士の言葉を真に受けとめ、患者さんの治療にあたっています。
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